なにかと有名なクソゲーオブザイヤー,KotY.
BDSPのバグ騒動によって(案の定)KotYにお客さんが発生,Twitterでも騒動になった.そのKotYは匿名掲示板の奇人変人共の集まりであるのに毎年異様に注目されている特異なコンテンツである.「KOTYに権威など一切なく」と書かれることはままあるが,権威がなかったらこんなに注目されることはない.明らかに十二分な権威を持っていると言えるだろう.どこにも権力を行使しないだけで.なぜか.もちろん,つべやニコ動などでまとめた動画があること(他人のネタとはいえクオリティの高さに驚く),悪口を言う・下の物を見て嘲笑う・野次馬根性を満たすためにはうってつけのコンテンツに見えてしまうため人気が出るのも致し方がないところではある.ただそれだけでは炎上目的のコンテンツで長続きしないものである.KotYが毎年注目されるようなクオリティの高いコンテンツになったのは何故か.RXN-雷神-からのROM勢,動画勢である自分の思うところをここに記す.自分にKotYを教えてくれた作品
PVから何故か地雷臭がして怖いもの見たさで買ってみた
案の定面白くなかったがその感覚が正しいのか
改めて調べた所KotYに出会ったわけだ
1,歴史
KotY各年なんの作品が云々みたいな詳しい歴史は各自専用wiki https://koty.wiki/ なりで調べていただくとして(授業中なり移動中なりで読むといい感じに時間潰せるのでオススメ),「2004年から続くものである」という事実が大きい.選出方法が現在と同じになった2005年,基準となった作品「四八」の出現である2007年,正式な始まりをどこにするかにしても干支1回りしているわけである.歴史が続けば箔が付き,箔が付けば権威が付く.もはや流行語なんぞ選んでいないどこぞの流行語大賞の企画も長くやってきた歴史があるわけだから未だにマスコミに取り上げられ,SNSでは賛否両論が沸き起こる.継続は力なり,なんて言うがまさにそのとおりである.ただもちろん,長くやってりゃ良いってもんでもない.そこに価値があるからこそ,権威がより輝くのである.2,選考方法
上記の「価値」を裏付けるのが,選考・選出方法である.ここにKotYが注目されるような存在になったのか,その真髄があると考える.その選出方法に関してはKotY wikiよりニコニコ大百科のほうがわかりやすいのでそちらを引用する.一年の終わりに一番のクソゲーを決める。その形式は投票ではなく、総評を書くことで決定される。具体的には以下の流れとなる。
1.選評を作成し、それを基に審議の末候補に足ると認められた作品を選考対象とする
2.選考対象の解説ならびに大賞を選出するための「総評案」を投稿する
3.その中で最も賛同を得られた案を総評の決定稿として採用し、その案で推されていたゲームを大賞として認定する。但し場合によっては複数の案の折衷になる事もある。
選評作成にあたっては第三者視点で作品を正確に検証・評価して住人を納得させる必要があり、ある程度の文章スキルも求められる。
( https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC )
また,選評が出来上がってもそこで終わりではなく再検証・反論選評が現れ選評を取り下げたり,選評再提出なんてこともある.
この選評と書かれている部分を「論文」と置き換えてみると非常に面白いことがわかる.大学・研究所が行っているアカデミックな学会とやってることが同じなのだ.論文書いてジャーナルに提出して再検証されてその論文を評価する論文を書いて・・・,非常に酷似している.私は理系なので理系の学会しか知らないので文系の学会がどうなっているかはわからない.日本近代史学会が茶番で終わってるぐらいしか聞いたことがないが,少なくとも理学工学医学分野の学会と似た手法をとっている事がわかる.よく,カービィボウル学会とかゼルダ学会とか言われるが,こちらもまた学会であろう.この「学会方式」がKotYの価値を上げ,保証し,保っているものである.そりゃSNSで話題になった現象をいきなり学会に持って行ってすごいすごい叫んでいてもだーれも相手にしてくれない.論文を出せ論文をと言われ門前払いされるのが落ちである.もちろんこの方式による問題点も存在する.議論のハードルが非常に上がり新規参入が難しく一般とは知識の差がかけ離れてしまうことである.しかしながらこのKotYというものはもともと常軌を逸したクソゲーというものを常に扱うのでこの問題点はあって無いようなものだろう.学問の世界で言えば量子力学の難しさのようなものか.投票方式を用いなかった事がこの価値を高めているのである.投票方式が悪いと言っているのではない.上記に記した一般との知識の差を産みづらいのがこの投票方式である.例を挙げるならば、「みんなで決めるゲーム音楽Best100」だ.あの企画が投票方式を選択したのは間違いではないだろう.多くのゲームBGMファンに共感してもらう為の目的もあるからだ.しかしながら,そこでなにかと言われている「組織票」問題が生じてくるわけである.組織なぞそんなもんは存在しないのだが,タイトルIPのファンがこぞって投票する.これを組織票としているわけだ.この投票方式をKotYに持ち込んでしまうと対象のゲームの良し悪し関係なく,ナンバリングタイトルが少し落ち込んだだけでがっかりしてしまったファン層や,SNSで話題になったミーハー勢がこぞって投票してしまう可能性がある.いかにゲーム内容について議論しても関係なくなってしまう.そんな議論なぞ読まねぇ奴が大半なのだから.KotYが好きな方でもスレをリアルタイムで追わず選評,総評だけ読むなんて方も居るだろう.それ故にこの学会方式はKotYにおいては最適な方式であり,価値を保証する方式なのである.3,基準
また,基準があるのが大きいだろう.比較対象に四八があるのは大きい.ゲームとして目的の遊び方である程度満足に遊べる範囲のものは選考から外されるという事象は面白い.皆様は「遊戯王LotD」というゲームをご存知,或いは覚えているだろうか.開発が遊戯王遊んだことがないなんという言葉が出るぐらいCPUがアホだったり本来の遊戯王OCG通りの挙動を示さない,収録内容に虚偽の内容があったりしたゲームである.実際にこのKotYに選評とともにこのゲームの名前が上がった事があるが,カードゲームとしてそこそこ遊べるしKotY大賞を狙えるようなゲームではないとされ選評取り下げになったのだ.私は遊戯王を本気で遊んでいた時期があったため,遊戯王LotDひでぇな流石KONAMIと思っていたのだが,選評取り下げの報を見,KotYレベルたけーと実感した次第である.さらに最近の出来事ではあるがファイナルソードが基準になったのは実に興味深い.ゲームなのかデータの塊なのかといった区別がこの令和の時代になってから改めて線引かれたのは面白いものである.コンシューマーゲームにインディーズの参入障壁が下がり,様々なゲームが乱立した所以である.少し前までスマホゲーが覇権をとりコンシューマーゲームはなくなっていくなんて言われていたのに.【まとめ】
結局これだけKotYが注目され続ける要因はなんなのか.それは,選評を書きそれについて精査する選考方式が長年培われてきたからである.SNSで話題になるような出来事とはまた別の世界線での話をしているわけだ.「KotYは匿名掲示板の奇人変人共の集まり」と冒頭では言ったが,彼らはクソゲーとは何かを求める求道者と言っても過言ではないだろう.過言だな.【余談】
っていうかクソゲー出すなよ.
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